冒険家になんてなれなかった

夢と志を持ってアラスカへ

幼い頃よりどこに行くにも自転車があった。
自転車は僕のアウトドア人生の原点であろう。
そんな自転車で日本の各地を巡ってきた。
どれも素晴らしい旅路。今でも思い出は色あせない。

幼い頃は隣町まで自転車を走らせることさえ冒険だった。僕は気づけば日本を飛び出しアラスカを走ろうとしている。

「経験したこともない壮大な大自然が広がっているに違いない!」

期待はどんどん膨らんだ。

2019年8月5日。
自転車と夢と志を持って僕はアラスカへ飛んだ。

冒険家になりたい!

これが僕の本当の想いなのかを確かめるために僕は走る。

スマホ(連絡手段)がないということ

僕はシアトル空港での乗り継ぎ中にスマートフォンを紛失してしまった。

でも、スマホなしでも生きていける自信があった。
翻訳に頼らなくても現地での情報を集められる自信もあった。

冒険を遂行する上で、スマホの有無は僕にとって問題ではなかった。

唯一、アラスカ冒険のスポンサーになってくれた方への発信義務があるのが懸念だった。

しかし、これも現地の人にスマホを貸してもらえるだけのコミュニケーション能力には自信があったので大した問題ではないと考えた。

まあ大丈夫だろう。

当初はそう思っていた。

 

しかし、実際は違った。

彼女や友人に電話したい時があった。
愚痴を吐いたり、感動した景色を共有したい時もあった。

でもスマホを持っていないのでできなかった。

僕ってどうやら寂しがり屋らしい。

とにかく誰かに話を聞いて欲しい。そんな時に、誰にも連絡できないのは精神的なストレスになった。

勿論現地の方と会話する機会もあるが、基本的には自然の中を1人で走っている。
ほぼほぼ孤独だ。

まぁ、孤独に自然の中を過ごすために来たのだからいいのだけれど、たまにちょっとしたことを誰かに話せるか話せないかで精神的には結構変わるのだ。

なっちゃん(彼女)、今なにしてるかな?

母親は家に1人でいるのか。
寂しがってないだろうか?

犬はどうしてるかな?

とかいろいろ考えていた。特に身近な人の状況がわからないのは心配であった。

一方で、僕はサイクリングに関しては1人で気ままに走りたいというわがままな人間だ。

だから、孤独ゆえの幸せも同時に感じた。

誹謗中傷された記憶に強制的に走らされる。

当初気持ちに余裕を持つために決めていたことがある。

 

アラスカ冒険でのルール
  1. 1日に走る距離のノルマを設定し、そのノルマは必ず守る。
  2. ノルマを超えて走る場合は無理はしない。
  3. 楽しく走りたいと思える距離までにする。

どうしてもノルマを守れない日もある。

楽しく走れる時になるべく距離をためておき、どうしても走れない日の分をカバーする。

そのような予定であった。

そしてそれをやれるだけに体は鍛えてきたと思う。

 

僕はアラスカに来て最初の10日間くらいは日照時間のほとんどを走り続けた。
8月のアラスカの日照時間は18〜20時間。
その時間は走り続ける。
それを毎日続けた。

せっかくアラスカに来てるんだからやれることやらなきゃもったいない!
と思い、寄り道してトレッキングもした。


湖でカヤックもした。

太陽が出てる限りほとんど、動いていた。

1日に走れば良いと決めたノルマの1.5倍近くの距離を毎日走り続けた。加えて州立公園でトレッキングまでしていた。
相当な運動量を毎日続けた。

いくら体力を鍛えてきたからとはいえ、明らかに連日オーバーワーク。

あっという間に圧倒的肉体疲労感に襲われた。

食事も作業的になっていた。

あくまでエネルギー補給。

走るためのエネルギーと寝る間に回復するためのエネルギーをとることのみを考えていた。

本来食事とは楽しいものだが、もはや作業と化していた。

心の落ち着く暇なんてない。

本当に僕は自分でも知らないうちに余裕を失っていた。

鍛えてくるべきは体よりも、メンタルだった。

トレッキングやカヤックも今思い返せば楽しめていたのかわからない。

なぜ僕はそんなに焦っていたのだろうか。

それは「絶対に走りきらなければ!」というプレッシャーであったと思う。

僕のことを散々誹謗中傷した人たちがいた。

外野からつべこべ言われる筋合いはない!って思い込もうとしていたのは僕の強がりだった。

本音は君たちの言う通り、僕自身が自分の可能性に不安を感じていた。
旅にスポンサーをつけてお金を集めるのに賛否両論あるのは覚悟の上だ。

しかし、的外れな誹謗中傷も少なからず僕を傷つけた。
何もかもに対してやる気をなくした時期もあった。
週4で続けていたトレーニングもやめた。
バイトで稼いだお金もいくらか無駄遣いした。

支えてくれた人のおかげで少しは立ち直れたが、匿名の言葉の暴力は時間が経っても僕の心を蝕んだ。

それらの言葉が脳内で何回も再生された。
その言葉によって、不安が募った。
心の中は不安だらけだった。

必ず走り切れるという安心感が欲しかった。

走行距離を稼いでアドバンテージをとることで、この先スローペースになっても必ず走り切れる!という安心感が欲しかったのだ。

だから最初に勝負を決めよう!
と懸命に走り続けた。
楽しんで走ることは放棄していた。

地図を広げるのは走った距離に過敏になっているからである。

今日は何miles走ったかな?まだこんだけかよ…

とっくにノルマの距離を走り切った日でさえ、走行距離に焦っていた。

心の余裕はどんどんなくなっていった。

いつしか泣きながら自転車に乗っていた。

何に泣いていたのかはわからない。
ただただ全てが漠然と怖かった。

無防備という恐怖

1日走り切ると、テントを設営する。
これもまた怖かった。

ここでいいのかな?と何回も自分に問うた。

熊の足跡や糞が無いかは入念にチェックした。

今このテントを破られ襲われたらどうにもできないという無防備さが怖かった。

テントの設営時や撤収時に熊に襲われる可能性もある。

 

日中も夜も緊張と不安を抱えていた。
いよいよ心が落ち着ける時間は無くなってしまった。

毎晩泣きながら眠った。

なっちゃん(彼女)が作ってくれた自作のお守りとおばあちゃんがくれたおまもりを握りしめながら。

初心を思い出させてくれた大切な人の死

完全に心に余裕がなくなっていた僕だった。そんな僕を前向きにしてくれるある約束があった。

それは佐藤さんとの約束である。佐藤さんはアラスカ冒険以前から僕と親交のある冒険家だ。

彼は僕が精神的に参っていた時に助けてくれた1人である。

彼は僕に直接会いにきてくれて、佐藤さん自身がアラスカを走って見てきた景色を写真で見せてくれた。そして、僕がアラスカに対して抱いていたワクワク感を蘇らせてくれた。

僕にとってはかけがえのない大切な人だ。

佐藤さんは僕がアラスカを冒険するのと同じ時期に世界一周することになっていた。

そんな佐藤さんと僕は、一つの約束をした。

「必ずお互い無事に帰国して、お互いの旅を報告しあいましょう。」

僕はこの約束の実現を本気で夢見ていた。

 

しかし、彼は自転車世界一周の旅の中で亡くなってしまった。

ペルーで交通事故にあったのだ。

本当に突然の死だった。

彼の死の知らせをこのブログの編集担当をつとめる友利くんや彼女のなっちゃん(彼女)から知らされた時はあまりピンとこなかった。

現地の方からスマホを借りて、いつものようにTwitterから情報発信をしようとしたときだった。DMに「佐藤さんについて話を聞きたい」という取材依頼がとあるメディアから届いていた。

その時、急に現実感が増し、佐藤さんが亡くなった事実を受け入れざるを得なくなった。

途端に涙が溢れた。
声を出して泣いた。

自分でもわけわかんないくらい泣いた。

受け入れたくなかった。

約束はどーなるんだ!!!💢

俺のアラスカへのワクワク、夢のワクワクを思い出させてくれて、嫌な事を忘れさせてくれた佐藤さんにアラスカのことを報告したかった。

何でもネガティブ思考

もう全てが怖かった。

すごく辛かった。

サトウさんの死を受け入れた次の日は文字通り肩を落としていた。
一応自転車には乗ったが、ほとんど平坦と下りのみ。めちゃくちゃゆっくり進んだ。
少しでも斜度のある坂道は全て歩いた。
下を見てトボトボと歩き続けた。

そしてまた泣いた。

涙が枯れるまで泣いた。

もう心はぐちゃぐちゃだった。


写真には笑顔で写ってるけど、本当はアラスカを走り始めて5日目でいっぱいいっぱいになっていた。

あぁ、俺の夢って所詮この程度だったのか

結局俺はここに何しにきたんだ。
無様に自転車押し歩いて、泣いて。
情けないが、立ち上がる勇気もない。

僕は「史上最低の酷道ダルトンハイウェイ」への挑戦をものすごく楽しみにしてアラスカへ来た。

しかし、そんなことはどうでもよくなりつつあった。

佐藤さんが走った道と同じところに行きたい。

佐藤さんの走ったアラスカハイウェイを走りたい。

そう思うようになった。

本当は、佐藤さんのことを言い訳にして自分の夢から逃げたかっただけかもしれない。

ダルトンハイウェイは、本当に悪路である。
現地では“Ultimate Road Adventure“(究極のロードアドベンチャー)として知られ、アラスカの人でさえフェアバンクス以北の北の地域には行ったことがない人が多い。

普通はまず避ける道であるし、ましてや自転車で走ろうなどとは思わない。

走る車は産業道路だけにほとんどトレーラー。
それも日本では見たことないサイズのトレーラー。

当然危険である。

身近な人、佐藤さんが事故で亡くなったのは他人事ではなかった。
もう全てが怖いのにそんなところ行けるわけがない。事故の確率も高い。

死にたくない。
嫌だ。

それなら佐藤さんの見た景色を俺も見たい。
ただ、ダルトンハイウェイほどではないが、ロンググラベルであるデナリハイウェイを走ろう。
そうすれば、一応ロンググラベルを走るチャレンジも可能だ。
そういうふうにルートを変更しよう。

「あぁ、俺の夢ってこの程度か。夢を持ってアラスカに来たけど、結局俺はみんなの言うような未熟者だったんだ。冒険家の背中は遠い。俺には大きすぎる存在だ。」

そう嘆いた。

逃亡生活

そんな僕は、デナリ国立保護区にやってきた。
そこでバーブとクリスタンに出会った。

彼女らの記念写真を撮影するのに僕が協力したのが出会いのきっかけであった。

ついでに3人でも写真を撮った。

彼女らと仲良くなった僕は運良くヒッチハイクできることになった。

心が正常なら僕は
「自力で走りたい」
と断ったに違いない。

しかし、当時の僕はそんなカッコつけたことを言える精神状態ではなかった。

素直に乗せてもらうことにした。

彼女らは優しかった。

彼女らの車に乗りデナリ国立公園からフェアバンクスを目指す。距離は200km程度か。

バーブとクリスタンはどことなく僕が落ち込んでるのを感じたのだろう。

英語で歌詞は全然わからないけれど歌を歌い続けてくれた。

そして冗談を言い続けてくれた。

時には下ネタも混ぜてきた。

年頃の男の子だからこういう話好きでしょ?

なんて言いながら。

 

セックスの話を普通にしてくるあたり、日本人にはない性にオープンなところを感じた。

普段なら盛り上がれるところだが、エッチな話に花を咲かすことはできなかった。

あまり元気の出ない僕に対してとにかく彼女らは優しかった。

僕は車の中で、

・どんな思いでアラスカに来たか、

・将来の夢、

・親しい人が亡くなったこと、

・自分の心がこんなに弱いことを自分で知らなかったこと、

・それにショックを受けていること、

とか色々話した。

拙い英語だが、彼女らは必死に聞いてくれた。

そしてダルトンハイウェイから逃げようとしていることも話した。

すると彼女らは

逃げたい時は逃げていいのよ。たとえそれが夢を応援してくれた人に対して無責任だという人がいたとしても、それでもあなたは誰よりもあなた自身を大切にしなければならないわ。自分に素直になるって難しいことなのよ。

みたいなことを言ってくれた。

全ての英語は聞き取れなかったが、このような意味だったと思われる。

 

彼女らとの旅はあっという間に終わった。

お別れの時、僕はすごく泣いてしまった。

彼女ら2人は強くそして優しく僕を抱きしめてくれた。

2人とも身長が大きいせいか包まれる感じがすごかった。
なんだか子供のころのような感覚になれた。

抱きしめられて物理的に彼女らの体温が伝わってきたのもあるが、心の温かさをものすごく感じた。
人ってこんなに温かったんだ。
そう感じた。
彼女らはしばらく抱きしめてくれた。
本当にありがとう。

彼女らの言葉に免じて僕はもう少し夢からの逃亡生活を続けることにした。

正直このままダルトンハイウェイに行かないのはどうなんだと、かろうじて残っていた正常な僕が引き止めようとしていた。

とりあえず自分を見つめるために、予定を変更した。
当初ダルトンハイウェイを走った後に訪れる予定だったチナ・ホットスプリングスという温泉を先に訪れることにした。
温泉でゆっくり考えることにしたのだ。

お前それでいいのか?フォロワーの言葉

実は温泉に向かう前、フェアバンクスで借りることに成功したパソコンでTwitterにログインした。簡単に今の心境とか今後の予定とかそういうのを発信した。

その時にダルトンハイウェイに行かないかもしれないツイートもしていた。

僕が温泉で考え事をしてる間に、そのツイートを見たフォロワーさんから指摘があった。

「あれ?今回はダルトンハイウェイに行くって言って支援を集めたんだよね?」

 

んなことわかってんだよ!
無責任だと思うよ!
でもそれでもアラスカまで来て自分を偽って過ごしたら勿体ないんだよ。

今は佐藤さんと同じ景色をみたいんだ。
逃げてるだけなのかもしれない。
それでも自分に正直になりたいんだ。

なんて思った。

勿論相手のいうことは正論すぎた。当時のモヤモヤした気持ちで返信するのは気が引けたので一旦は返信しなかった。

全てを取り戻すために

チナホットスプリングスにいる間に色々考えた。

アンカレッジからチナホットスプリングスに到着するまでの700km程でもう十分自分が弱いことはわかった。

だからこれ以上自分の弱さに嘆いて「冒険家になれない…」とネガティブになるのはやめようと思った。

何より僕はまともに就職したくなくて冒険家を志したんだ。

別に決して働きたくないわけではない。

ただ、自分の人生かけて働きたい職業が見つからなかったのだ。

よく子供は「将来の夢」を尋ねられて職業を答える。

しかし、僕にはそもそもそれ自体がおかしく思えてならない。

夢=仕事

っておかしくないか?

夢っていうのはもっと心の底からワクワクできる何かではないか?

こんな人生を送りたい!!!

みたいな。

僕にとっての夢は一生ワクワクしながら生きること。そして地球に生まれた喜びを満喫してから死ぬことだ。

この世界にはまだ見たことない世界がたくさんある。
僕はそれを見に行ける時代に生まれてきたと思う。
昔のように脱藩したら処されるわけでもない。

本当に自由な世の中。

あとは心の中にある不自由な鎖を切るだけなのである。

自分の挑戦したい気持ちに言い訳をしているうちは不自由である。

アラスカに行きたい。

でもお金はない。

それを言い訳したくなくて、賛否両論あるのもわかっていながら支援を募りつつ挑戦するという道を選んだのだ。

冒険家になりたい!

なんて現実的ではないかもしれない。

でもこの想いに蓋をする不自由な人生にだけはしたくない。

一時期は

「別にやりたい仕事なんてないけど、テキトーに就活するよ。」

と割り切れる友人が羨ましくも感じた。

しかし、僕は友人のように割り切ることができなかった。

そこに劣等感を感じることさえあった。

でも冒険家の阿部さんと電話した時に流した涙は、冒険家を目指すことを決意したから流れた涙だった。

そして、就活を割り切って行うことができない自分への苛立ちから解放された瞬間でもあった。

僕は相応に大きな夢と志を持ってアラスカにやって来たのである。

後悔なく頑張れる方を選ぶしかないと思った。

せっかく覚悟を決めて、自分の人生見つけたのに、諦めて元の生活に戻るのか?

そんなのいやだ!!

だったら今ここで冒険から逃げるわけにはいかない。

 

8月13日。もう迷いは無くなっていた。

全てを取り戻しにダルトンハイウェイ を走破し北極海を目指すことにした。

この決断を後押ししてくれたのは、一声かけてくれたフォロワーさんのおかげでもあり、一旦逃げることを提案してくれたバーブとクリスタンのおかげでもある。

 

いろんな人のおかげで僕は自分をゆっくり見つめることができた。

走るのは一人だけど、実際には色々な人と見えない繋がりがあって、みんなとアラスカを走ってるんだ。

みんなの想いを抱えて一緒に北極海に連れて行くしかない。

そう思えた。

 

無人区間の800km。ほとんどがボコボコの未舗装路。雨が降れば道はぬかるむ。

僕の自転車ライフでは想像もできない道をこれから走るわけだが、なぜか心は落ち着いていた。

これからは何でも楽しめる気がした。

泣いてばかりいた青年はやっと心から笑うことができた。

全体42日のアラスカ滞在。
残り30日は絶対に楽しく過ごすんだ。
そう心に決めた。

いざ、北の酷道へ。

つづきへ

長い長い記事を読んでくれた皆さん、ありがとうございます。

次回は、前向きになった僕が再び夢に挑戦する軌跡を書きます。

舞台は北米大陸唯一の北極海への陸路。

“The Dalton Highway”

また読んでくださいね。

次回はこちらから↓

 

 

 

記事中にあった佐藤さんの記事は下から↓

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