自転車に乗って16年経った今僕が思う”敢えて自転車で行く理由”

言葉にし難きもの

先に断っておくが、しっかりと言語化しきれない形のないぼんやりとした”自転車への想い”ってのを誰にでも丁寧にわかるように書けるほど僕は文章力がない。

だからわかりにくいところもあるかもしれない。

いや、もはやわかりにくいところ、伝わらないところがあっても仕方がないとさえ思っている。

だって自転車を趣味レベル以上で乗ってない人には到底理解してもらえないだろう。

あぁ!なんとなくわかる!

なんて言われても、言葉通り”なんとなく”しか理解されないだろう。

いや、それどころか同じ趣味として自転車を楽しむ人にすらも

“ちょっと何言ってるかわからない(΄◉◞౪◟◉`)”

と思われることもあるかもしれない。

そう、個人の中に眠る

“好きな理由”だとか”こだわる理由”ってやつは自由であり無形なもの

なのである。

幼少期の数少ない鮮烈な記憶

過去の記事にて紹介した内容とかぶるところがあるので簡潔にまとめたい。幼少期を詳しくまとめた記事は関連記事として最後に置いておく。もし読み切ってまだ読む力が残っていたら読んでみてほしい。

僕は幼い時、東京板橋区に住んでいた。

下町ではあるが何不自由ない都会暮らし。東京で暮らしたのは幼稚園入園前から小学3年生まで。

親にもかなり可愛がられる時期だ。

住んでる場所も親からの恵みも何不自由ないはずであった。

しかし幼稚園児の頃、僕は一点だけ不自由を感じていた。

当時、僕には最大の楽しみがあった。

今は名前も思い出せない友達ばかりだが、少し離れたところまで通っていた幼稚園の友達。その仲間たちと近くの湖のある大きな公園で遊ぶのが本当に楽しみだった。

しかしその公園で遊ぶには

「今度の〇曜日、みんなで公園で遊びましょうね。」

っていうママ友達の約束が必要なのであった。

ママ友たちの都合とご機嫌次第で僕らの運命が決まる。

子供ながらにそんな誰かに縛られているのが嫌だったのを覚えている。

それにその公園は僕の住んでいた地域ではとりわけ大きかった公園で湖のエリアまである自然豊かな公園だったからそこで遊ぶことへの期待は本当に大きかったのだ。

そんな”ママ任せ”の僕だったが、小学校入学前に大きな2つの自由を手に入れた。

それが”初めて自転車を買い与えられたこと”と”母からの言葉”だった。

母からの言葉とは

「いい?小学生になったら今みたいに送り迎えをママはしないの。だから友達と遊ぶ約束はあなたが自分でやらなきゃいけないのよ?ちゃんとお友達誘えるかな?」

であった。一語一句同じではないだろうが、この言葉の記憶は数少ない幼少期の記憶の一つである。

僕にとって”自転車”と”この言葉”は非常に強烈な出来事であった。

大袈裟な表現だが当時、一気に自由を得たと感じたくらいだ。

待てない性格だから

幼稚園のみんなが行った小学校とは別の小学校に入学したが、僕はすぐにたくさんの友達を作った。

当時はまだ任天堂のWiiが出るギリギリ前の時代だし、SONYのプレーステーション2の時代だし、現代の子供ほどテレビゲームは人気ではなかったように感じる。

いや、僕の周りに外遊びが好きな子が集まってきただけか?

僕は多くの友達と公園に遊びにでかけていた。

そんな日々が続いたが、やがて遊び場は僕の影響で変化する。

当時から冒険好きな僕は刺激を求めた。

整備された公園ではなく敢えてその公園の脇にある裏山(と言っていい規模かはわからないが汗)に友達を先導して遊びに入ったり、はたまたそんな足場の悪い場所で鬼ごっこを提案したり…。

当時遊んでいた裏山。階段のところから無理やり登って侵入していた。

やがて僕は自らの学区内の遊び場だけでは飽き足らず、家族に連れて行ってもらった楽しかった公園だとかにも足を伸ばしたがる。

しかし”待てない性格”なのである。

親に連れて行ってもらった場所というのは少し遠くにあるものだった。基本的には親にねだる。また行きたいよ!って。

でも親にも都合がある。毎回連れて行ってもらえるわけではない。親の休日を待ち、さらに親の都合のつく日を待つ。そんなの僕には耐えられなかった。

母に言われた言葉を思い出す。

そうか自分で行っていいんだ!自分で決めていいんだ!

徒歩では到底辿り着けなくても自転車ならなんとか行ける。

親に頼らず、距離に制限されずに好きなところに出かけられる自転車の魅力への気づき

この気づきこそ、22歳の誕生日を控える今にまで僕を自転車沼にハメる原点であったかと思う。

(あっ、もうすぐ22歳になります。誕生日プレゼント送ってくれる方は積極的にきてどうぞw)

成長と共に気づきも増えた

このまま6歳の時から物語を進めると最後に紹介する関連記事のままになってしまう。成長の中でどのように自転車にのめり込んでいくのかは関連記事を読んでくれ。ここからは一気に時を飛ばして僕を成長させる。

はいっ!!!21歳の僕でぇぇぇぇすっ!!!

因みに21歳になるまでに中学、高校時代とママチャリで日帰りサイクリング旅、24時間以内ロングライドを楽しむようになり、19歳で初めてのロードバイクにより自転車がアップグレードされることで世界が広がることを知った。そしてもっと色んな種類の自転車に乗りたくなり、2台目のロードバイクを購入、そいつでアラスカを縦断してきた。

この後の項目にまとめるのは、上に述べたことを経験してきた僕が今だから思う

“敢えて自転車で目的地に行く理由”

である。

自転車の楽しさ

“敢えて自転車で目的地に行く理由”

それは利益不利益なんかが理由ではない。”好きだから”である。

過去21年の人生であまり自転車に乗らなかった時期もある。そんな時に自転車で長距離走る理由は”交通費を浮かしたいから”っていうチンケな理由。しかし元々好きでないと、とてもじゃないけど片道何十kmも自転車で移動しないと思う。

では”どうして好きなのか?”なんどけど、”楽しいから”っていう最高のポジティブな気持ちが生じるからである。

レース、自転車旅、ロングライド、グルメライド、ゆるぽた(ゆっくりのんびり走ること)、メカをいじること、写真撮影などなど何を楽しみとするかは人それぞれだが、僕が自転車に感じる楽しさっていうのは自転車旅とロングライドの2種に限定される。

正直自転車乗りとしては、自転車の楽しみ方の幅っていうのはかなり狭い方にあると思う。だからこの後に語っていく内容では、ロングライドとか自転車旅としての楽しみのみ展開されていく。

まぁ、この記事のタイトルも”僕が思う自転車で行く理由”だから許してほしい。

あくまで僕目線で書く。

僕にとっての自転車の楽しさとして消去した選択肢についてだが、例えばゆるゆるとお喋りしながら走るのも悪くないが、少し肉体への負荷が物足りない。

ならばレースは?

いや実はこれまた競技的に好みじゃない。

ずっと球技をしてきたせいかもしれないけど、1分1秒の争いではなく、パワー、テクニック、戦術、メンタルなどさまざまな要因を含めてどれだけ得点できるか、どれだけ球をつなげられるかっていう方が僕にとっては面白く感じるのだ。(卓球とバドミントンしてました。)

写真やグルメなんかは、長く険しい道のりを体力を削りながら進んでいく中でより一層楽しめると思っている。それ単体では僕はあまり満足に楽しめない。

結局撮影、食事がメインであって自転車で行う必要はないと考えてしまうからだ。

まず旅やロングライドの中でこそ自転車の写真を撮りたくなる理由について述べる。

景色がとびきり良ければ話は別だが、大してキツくもない山道を写真に残すだろうか?いや、残さない。

たとえインスタ映えしなくても、登ってきた道のりに達成感を感じるなら写真を撮ると思う。

どんなに疲弊していても撮影に熱意を燃やす。

岐阜県海津市、岐阜県道25号線
アラスカ州ダルトンハイウェイ、ブルックス山脈アティガン峠

大袈裟な言い方をするが僕はこういう

前進するために戦っている写真が大好きだ!

またまるで別世界に来たかのような、さっきまでの道と全く違う景色に遭遇できるのもロングライド、自転車旅の魅力である。

単調なアップダウンの続いたR156に突如として御母衣湖が広がった時の感動。
濃霧、吹雪…。天候回復までやり過ごした後にテントから出た時目にした光景。

そして実は今述べた達成感だとか突然現れる何気ない感動だとかポジティブな感情ばかりが素敵なのではない。

ネガティブから発見されるものがある。

マイナス×マイナス=プラス

みたいな。

(ちょっと何いってるかわからない…。)

体が眠ること以外何も望んでいないくらい体力を使い果たしたり

たとえ毎日ピーナツバターをパンに塗っただけの簡素な食事であったとしても、すべての食事から栄養素を最大限に摂取しようとしたり、そしてそのつまらないご飯がめちゃくちゃ美味しかったり

雨で寒かったり

向かい風や坂や泥、前進を拒む要素に顔を歪ませたり

このほかにもきつい瞬間なんてたくさんあるけれど、なぜかこの”キツイ!!”に魅力を感じる。

よくみんなが言うことだが生きている感じがするのだ。

眠すぎる。痛い。疲れた。腹減った。喉渇いた。

こういう体の訴えは生への執着であり、僕たちはまさにこの訴えに”自らが生きている”のだと実感する。

もう少し掘り下げたいこと。”生のための必要最低限の何かの発見”

だが僕はもう少し掘り下げたい。

掘り下げることによって自転車とかサイクリングの楽しさっていうよりかは自転車で体や精神を追い込んだ時に味わえる楽しさを書くことになってしまいそう。だが聞いてほしい。

いや、もはや最近の僕は真の楽しさは追い込んだ中でしか生まれないとさえ思っているくらいだ。それを味わうために敢えて自転車で移動しているといってもいいくらい。

カップ麺が仰天するほど美味しい!

とか

一瞬で気持ちよく寝付けるほどの疲労感

とか、そういうのも本気で追い込んでこそ気づけたことなのだ。

そんな何気ないことへの気づきの楽しさって素晴らしいんどけど…。

でも最近の僕の自転車の楽しみはそれだけでは足りないのだ。

“本当に体が欲している必要最低限のもの”

これを見つけることに今の僕は喜びを見出している。

最近の僕のオススメはこれ。

クエン酸たっぷりで口いっぱいに広がる酸っぱいこの飲み物、肉体追い込んで長距離走った時にはマジで美味しい!体が疲弊していたらすぐにでも持ってきてくれ!っていうくらい体に染み渡る。

こういう“力強く生きるのに必要な自分にとっての何か”を見つけた時のちょっとした感動が好きでたまらない。

確かにどんだけつまらない何かでも食べられたら幸せ。

そこに生きてる喜びを見出すってのもいいんだけど、やはり何を食べるかって重要だと思う。

日本のコンビニは便利だ。豊富な種類から選べる。

だからこそだ。きっと大抵のコンビニ、スーパー、あなたにとっての最高の何かが品揃えにあるはずだ。

だったらそれを買おうよ。

そうしたらもっといいパフォーマンスができる気がしないだろうか?そして楽しくなるとは思わないだろうか?

別に僕は栄養を考えた上で摂取すべき最低限の食事とか睡眠とかそういうのを求めているわけではない。

勿論僕がこの先さらに高い冒険の世界を目指すのならそのような勉強や試行錯誤も必要だろうが、ここで問いたいのはそこではない。

自転車に乗る中でより自分自身が最高に感じるものの模索の楽しさ。

「あぁ、俺って〇〇を補給食の中心にすると結構調子いいんだよねぇ〜。」

そんなのが見つかったら楽しくないか?

そして最近ではこの喜びへの気づきから新しいことに挑戦したいと思っている。

究極のU.L.装備の模索

実は”自分が力強く生きるのに必要な最低限の模索”こそ今流行のU.L.(ウルトラライト=超軽量)のアウトドアに直結して役立つと思っている。

テント、シュラフ、バックパック、バイクパッキングギア、ボトル、自転車本体、さらにはハンドルとかペダルとかパーツなどなど。

それらの軽量化は金さえあればどうにでもなる話。

別に自らの肉体を限界まで追い込んで生きている心地や当たり前の幸せを噛み締めて、さらにその中で疲弊した自分の体に染み渡る究極のドリンクやご飯なんか探さなくてもいい。

ここの問題は誰でもお金を払って実際に自分で使ってみて、好みを見つけたらクリアできる問題なのだ。

では何が更なるU.L.なアウトドアを突き詰めていくのか?

その答えが“自分が力強く生きるのに必要な最低限のこと”を探すことである。

自分が力強く走るために、自分が楽しく走るために必要なものだけを持って道の先を目指す。

不要なものなんてもたない。あなたが必要最低限を望むものだけを持って新しい世界へと行く。

自然の中に走るのに必要なものはほんの少しでいい。そこにロマンがあると思うけど、あなたはどう?

はぁ、早くコロナ落ち着かないかなぁ?

走りたーい!!!

みんなの意見

この募集に多くのコメントが集まった。みんなありがとう!

さて、これまでの項目で述べてこなかった自転車に拘る理由があるけど、それはみんなと意見が一緒だから。

これからそれらを皆さんのコメントを紹介しながら最後に述べていく。

まずはさっき説明を後回しにした“徒歩ではなく自転車が好きな理由”から話す。コメントをくれた大和田博斗さんが同じことを思っていてくれた笑

結構共感してもらえると思うのだが、自転車で移動に拘るヤツってのは、人力に拘りたいけど、完全に100%人力の徒歩は少しばかり遅すぎなんだよな…っていうワガママな人種だと思う。

そこで動力源が人力ならOK、つまり自転車OKっていう感じかと。僕は完全このパターンである。

登山とか川の中とか自転車が絶対使えないところでは諦めもつくが、自転車で行けるんだったらきっと僕は自転車を使う。

旅先の風土を感じられるってのは、きっと皆さんも思ってることだよね。地形を感じながら風を切りながら自力で進む楽しさ!

生を感じるってのは散々僕が語ってきたことだ。

はじめましてのsenさんからもコメントをもらった。

目的地も立派な”目的”なんだけど、ネットでは拾えない道中の魅力を期待していたり、そんなのなくてもそもそも自転車が楽しいだよな。

僕の尊敬するアウトドアマンS.K.くんからもコメントが。彼がコメントに使用してくれた彼のブログ記事是非読んでみて。かなり面白いよ!

彼とは少し前にタメ語で話す仲になったんだけど、内心ではめちゃ尊敬している先輩だ。

そう、エンジン付きの乗り物のように一瞬で過ぎ去らないから景色や地形を体感するのにちょうどいい速度なんだよね。

そしてあくまで動力源が人力だからこそ風や地形の影響をもろに受けながら前進する。だからこそ余計に道中の思い出は強くなる。

景色を見逃さない速度云々じゃない。

仮に全力スプリントをしようとも、自分で地形を体感しながら加速を行うので高速域の中でも直に自然を感じられるのだ。

ママチャリサイクリング…。

昔が懐かしいです!

女ファットバイクライダーのくるみさんから!

ありがとうございます。ファットバイク、僕も乗ってみたいですねぇ。

さてさて、車にはない細かな機動力や自由度、これも旅行に便利な要素。そして輪行か!これは気付かなんだ!確かに飛行機にも積めて世界中どこでも愛車を運べるのは魅力的かも!万が一のエスケープも安全だし!(場所によるけど)

言葉にならない。そうなんだよ、本当にこの記事もね、本当はもっと上手いこと書きたかったけど、これが限界だ!笑

生きてるって感覚はやはりみんな感じてるもんだね〜。これは個人的な考えなんだけど、「生きてる!」って感じるレベルを味わったことのある人っていうのは最低1度は限界を迎えたサイクリングを楽しんだ人なんじゃないかな?

そしてそこで「もう二度とやりたくない!」ではなくて癖になっちゃってまた何度もやっちゃってる人なんじゃないかな?って思っている。

究極の一言!でも間違いない!笑笑

愛車をも景色の一部として写真に収めるのが僕は大好きです!

僕にとっては人との出会いは副次的なものではあるんだけど、やはり人との出会いに恵まれた旅ってのはいつまでも思い出として強く残るし、その後も関係が続くのならば尚最高だね!

結果として道中の方が良い思い出になる。

これはすごく共感!

そして真夏や真冬のパンク修理、チューブ交換などはマジで地獄だよね…。

僕はチューブをやすりで削ってノリ付けして乾燥させてパッチ貼って…っていう修理の工程は真夏真冬は耐え兼ねるので、割り切ってチューブを交換しちゃうなぁ…笑

おわりに

さて、皆さんのコメントがほとんどを言ってしまってくれていた笑

なのでみんなの意見に出てこなかった自転車になる中での楽しみ、とりわけ長距離を走った時に感じる僕流自転車の楽しみ方がこの記事の価値を決めるのかな?

みんなにとってどううつるものかわからないけど…、コメントしてくれた皆様、そしてこの記事を最後まで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました!

また読んでね。

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