「自転車の速度だから景色をより濃く楽しめる。」ってどういうことなのか?

「自転車旅人ならでは…」 っていうと結局は「なぜわざわざ自転車でやるのか?」の問いへの答えを突き詰めていくことでしょうね。 よく「人力移動の速度だからこそ見逃さない景色があったり道中がより濃い記憶になる。」というのは多くの人が言いますけど、僕はそれは少し言葉足らずだと思っていまして。

今日は僕が思うことをもう少し掘り下げたいです。

掘り下げると言ってもそんな長い文章じゃないし、長い文章を綺麗に書けるほど文章力もないです。

形なきものを説明するのは難しいですね。是非みんなの考えも聞いてみたいです。

“ゆっくり移動”だけで説明はつかない。

単に移動速度だけなら自動車を徒歩や自転車と同じスピードで運転すればよくて。 つまり速度のみで道中を楽しめる理由を語るには足りないんですよね。 座ってアクセルを踏むだけだと、スピードによらず気づいたら先に進んでるなんてことあるかと思います。

ですが人力移動だと前進しようと意識しなければ進まないわけです。

だからこそ、道の起伏も向かい風なんかの自然条件の移り変わりがより濃く体で体感できると思っています。

非常に言語化が難しいのですが、自らの肉体を使って前進する手段だからこそ、移動の中で五感全てを使って旅路を実感できるのかと思います。

例えば吹雪の道。

車内からでも苦しい環境というのは見たらわかる状況。

真横に流れる雪。風のピュービュー吹き荒れる音。

しかしそれはあくまで目と耳による情報です。

もしオートバイでその道を走ると?

そこに寒さという感覚が加わるでしょう。

それが人力移動だと?

大地を蹴り一歩ずつ進む感覚だとかそんなものも加わるかと思います。

「過酷な環境だけど、だからこそ美しい。」

なんて言葉は自分にとってより共感のできる言葉となるでしょう。

僕はメンタルが弱く、人力移動に拘りながらも心折れることは多々あります。

しかしそれでもこのスタイルに面白みを感じ、幼い頃からなんだかんだ続けてきてるのはやはりそれ以上なら価値があるからです。

その価値とは先ほどから散々語っている「道を五感を通して進んでいく感覚」なのです。

進むために自身の全てを使うからこそ、一つ一つの美しいだとか苦しいだとかが光ります。

そういう感覚というのは、エンジンに支えられた移動ではなかなか気づかないです。

人力移動に比べると、移動中冴え渡る感覚は五感の中の一部の感覚でしかないでしょう。

更には速いスピードで道をいってしまいます。

道を知るアンテナが少ない状態で速く通過するのだから、「道中を楽しむ」という観点では人力移動なら遠く及ばないと思うのです。

それこそ人力移動に拘る人の語る「ゆっくり移動するから気付くことがある。」の本質かと思っています。

他にも自転車ならではの魅力はたくさんありますが、僕が一つあげるとすればこの理由になるでしょう。

あなたは「どうして自転車?」って聞かれた時になんて答えるか気になります。

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